それはそれは大変だった一人暮らし
平成12年より、単身、福岡県に移住しました。
そして、色々なことを体験しました。
当時20歳前後の私は、音楽の世界でプロとなり活躍していきたいという目標のために、
都会で自身を磨き上げるという道を選びました。
思い出せば、福岡で暮らし始めた最初の1年間は、
仕事と生活の両立に苦しみながら過ごす毎日だったため、友人はいませんでした。
寂しさと孤独で道を見失いそうになりながら、心が折れそうになりながら、
それでも憧れだけは自分に光を当ててくれていました。
そのため、就労をアルバイトで働くようにし、
お金と時間を活動に費やす大変さと隣り合わせにしながらも、
音楽をする時間を作ろうと頑張っていました。
そんな状況に合わせて仕事を当てはめていたため、
パチンコ店・ガソリンスタンド・鳶工・土工などの仕事を行いながら、
接遇の世界の厳しさや職人の世界の厳しさ、単身の生活の苦しさを体験してきました。
胸張って新しいことをやってみるが、挫折ばかり
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早すぎた社会で経験した仕事は建設に係る業界だったので、
新しい世界では今までやったことのない仕事をしてみたいと思った結果、
都会で就いた初めての仕事はパチンコ店の店員でした。
持ち前の好奇心と若さだけでやったこの仕事は、
今まで体験してきた社会の厳しさの質が全く違うものだったため、
たくましく進んできた自分の鼻をへし折られるようなことばかりで結局挫折し、
長く続けられず逃げるかのように辞めてしまいました。
ガソリンスタンドの時ではパチンコ屋に加えて、屋外での接客と作業。
心の余裕や頼れるところが無かった自分では到底乗り越えて行けないのだろうということを、
まだまだ賢くなかった当時の私でも理解したことを覚えています。
そのようなことから、音楽活動との両立ができて初めて都会に出た意味があるのだと自分に言い聞かせ、
ご縁から鳶工・土工の仕事に就き、夢に向かって再度歩き始めました。
この選択が間違っていなかったのか、過去の仕事の経験からコツの分かる仕事をした方がいいと確信した僕は、
結果的に生活のバランスも取れ始め、いよいよ音楽活動のコミュニティーへの参加も積極的となり、
仲間達との出逢いからバンドでのグループ活動ができ始め、各地へツアーをしたりしながらどんどんと夢を形にして行きました。
お金での大きな失敗、それが原因で
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この頃に大きな失敗をした出来事がありました。
それは、キャッシングリボルビング払いという返済形式にてクレジットカードから借入をし、
遊びや音楽活動資金を借りては毎月定額で返して生活をしていたということです。
20歳になりローンが組めることを知った僕は、
初めての一人暮らしで生活の大変さを感じていた頃でもあり、
便利が欲しくてたまらなかったため、それを利用してしまいました。
目的が不明瞭なことにお金を借りていたことと、毎月一定額で返して行けばいいことが災いし、
その後5年間ほど、借りては返す日々を繰り返しては一向に終わらない体験をするのです。
そんなこともあって、生活基盤はどんどんブレ始め、
都会で単身生活をしていくことが困難になって行きました。
その後、そのことが原因で一度地元に帰って基盤を立て直すことを決め、
結局、都会での暮らしを終えることとなったのです。