人に負けてばかりの自分が悔しくて、人がしていないことをしたかった
私は、学歴がありません。代わりに、夢がありました。
平成9年、高校への進学を選択せず自身の描く将来を自分の力で掴み取りたいと想い、
働いてお金を貯めて都会に行くことを決めました。
その頃の私は決して物事に万能なタイプではなく、
どちらかと言えば何事も続かなくすぐ逃げるような人間でした。
そんな自分が唯一続いた大好きなことが、ギターでした。
それに、幼少の頃から人の前に出ては芸をして楽しませる一面があり
舞台に憧れを持っていたこともあって、
ミュージシャンになりたいという夢を描いていたのです。
ギターが、自分を見つけてくれた
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周りがやってなかったことを自分はやっている。
他の人ができないことを自分はできた。
まだまだ何も知らなかった私がそのように感じて、初めて自分で道を決めたことでした。
当時、コレだと思うことを見つけたら他のことは捨ててでも追いかける傾向があった私は、
ギターでプロになる夢を抱いたことで人と違う自分になりたいために進学さえしないと決め、
高校に行かないで働いてお金を貯め、一人都会へ出ることにしたのです。
通っていた中学校にて卒業式を終えた3日後に、最後の懇談がありました。
担任の先生から就労先のことを聞かれ、決まっていない旨を伝えた瞬間、
2人だけの最後の教室に夕日が差し込んでは寂しさを伝え、
早すぎた社会への道をスタートさせたのでした。
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ひとり孤独に、早すぎる道を歩み始めた
結果、15歳だった私は働けるところが無く、
唯一頼れた親戚の経営する電気工事会社に雇ってもらい働いていました。
これでお金を貯めて都会に行こうと胸を膨らませていましたが、
未熟者で若すぎて社会歴が無いため、職場では叱られて叩かれ蹴られの毎日。
朝7時に出社して8時から現場作業を開始し、
夜は9時10時まで帰れない毎日が続き、
友達が夏休みでも自分は休みなく働いていた日々には、
かなり重たく太い電線を何本も連続で配線しては天井裏や床下に潜り込んだり、
マンホールの中で倒れそうになりながらも必死で電線を引っ張っているところに先輩が見に来ては
上手く作業を進められていないことに激怒され、
ヘルメットの上からハンマーで殴られるなんてこともよくありました。
仕事を一生懸命やっても、仕事ができなければ叱られる。
その当然のことが毎日あるんだと思いながら勤めていれば、さすがに恐怖から覚えも悪くなり、
材料運搬や穴掘りやパシリなどの仕事しかあたえてもらえなくなり
どんどん自信とやる気が失われて行きましたが、
「自分が選択したこと」だと言い聞かせて意地だけは持ち、
「はい」と返事をしながら働き続けていました。
このように、思っていた以上に過酷な道を選んだことに気付かされることになる早すぎた社会の現場から、
夢を追いかけることとは大変なことだ。と教えられていたのだろうと、今になって解ることでした。
この泣きながら耐えた3年間は、今でもよく夢に出てきては何かを振り返えさせられています。