結局、自分が弱かっただけだった
平成15年には、夢と現実の格差に打ちひしがれて鳥取県に戻ることにし、
この地元でできる形で活躍することを選び、地元企業への就労を決めました。
あれだけ夢高々に鳥取を離れたのに、思ったように音楽仲間が見つからずにどうしていけばいいのか分からなかった福岡の1年目。
生活も仕事も新しく1からスタートさせた、遠く離れた見知らぬ土地での初めての一人暮らしは何事も必死で、
本当にやりたいことが手を付けられないことに特に苦しみました。
やっとの思いで出会った音楽仲間と活動ができてからも、生活をうまく営むのが難しく、仕事と活動の両立が大変でお金も無かったり。
ありとあらゆることに疲れ切った私は、鳥取へ戻ることを決めたのでした。
そして、大変だった福岡で経験したことを改めて鳥取でやってみるとどうなるのか、
鳥取だと上手く行くのかを確かめたいと思いながら、福岡を終えたのでした。
ふるさとに帰って、心機一転で再スタート

鳥取に帰ってきてからは警備員の仕事に就き、趣味として音楽活動を続けては、
地域の音楽文化を盛んにしたく催しを開催したりしていました。
大都会でレベルの高い世界を見てきたこともあり、様々な価値観やモノの見方が養われていたのか、
鳥取ではあえて地元地域の方言をタイトルにし、その上で都会にしかなかったスタイルを上乗せしパフォーマンスをしたりして、
音楽イベントの開催や地元の郷土芸能に参加しては、強烈なインパクトを与えて活動することができました。
片田舎であると言っても仕方ないこの地元鳥取は、
「キャッチーでコマーシャルになることをやれば話題になるのだな!!」と思ったことを思い出します。
警備員という仕事での体験

警備員の仕事においては、まともな学歴のない私でも一から使って頂けるということで、
選択肢の少ない中たどり着けたところだったこともあり、
必要とされて貢献できる自分を届けたかった思いから、資格を取得し、
規制計画・人員配置・現場統括・職長会議など、番頭としての立場で活躍を重ねて来ました。
交通規制の基礎知識を勉強し、
規制図面を作成しては人員を配置させ、
現場監督からの要望を取り仕切っては、
現場で働く隊員を労いながら安全な誘導を指示していました。
時には大雪で高速道路が通行止になった時、I.C前にて車両をUターンさせる誘導を行った際には、
-5℃の猛吹雪の中で沢山の車両が雪にはまり大渋滞となり、大型トレーラーが立ち往生したことで運転手から激怒されながら、
腰まで埋まる雪の中を人力で雪掻きをしたり車両を押したりしながら、
規制解除が行われるまでを守ったこともありました。
規制開始から30時間、眠れない状態と食料が底を尽きる状態の中での業務だったので、今でも忘れられません。
頼まれてアルバイトに出た経験から気付いたこと

その傍らで、自身の人脈からの依頼も多く、単発的に仕事を請けるかたちで、
会席の配膳接客・荷物の宅配・露店の出店・店舗の清掃などの業務に携わることも多々ありました。
建設業がメインだった自分が、接客や販売を通しての仕事の楽しさと対応力が養われていくことに嬉しさを感じては、
とても忙しい日時に勤務する時々の体験に、達成感を得ていたように思います。
そのような週末活動の経験からヒントを得て、
起業のように働くスタイルを形成している自分に気づいた頃でもありました。
「これって、お仕事の依頼を受けて自分を納品しに行っているってことなんだろうな。」
そう感じて察したことは、
「商売をやるってこんな感じなんだろうな。」ということでした。