人はなぜ、他の人と話すのでしょうか?
だって、自問自答という言葉があるように、
人は自分の中でいくらでも会話ができるではありませんか。
とは言いましたが、皆さんもお気づきの通り、自分と会話をしていても
何もグッとくるものは得られないし、何が正しいのかさえ分からなくなったりしますよね。
なので、自問自答という言葉は、苦悩や葛藤の場面を表す言葉として使われています。
そして、繰り返すこととしてネガティブに取り扱われています。
結局、人は誰か自分以外の人に、自分の思っていることを話さないと、
脳や心がどんどん良くない方向へ進んでいくのです。
このように、誰かと話さずにはいられなくなるのが、人です。
前回までの記事で「聴くこと」の大切さを伝えていたのも、
人の生活や暮らしを作っているのが「話すこと」であり、
それにはちゃんとした聴き手がいてこそ話すことが受容され、それにより成り立っている。
ってことが前提にあったからです。
それともう一つ、「話すこと」は、自分自身にとって非常に重要な作用を生んでいるので、
その辺りを交えながら、今回は話題を「聴く」から「話す」へシフトして、
話すことの大切さとその理由をお伝えします。
人は誰かに話すことで、アイデアを認識する
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私達が毎日目にしたり手に取ったりしている建物や製品などは、元々から自然に、この世にあったものではありません。
これらは元々は、私達人間の頭の中にあった単なるアイデアでした。
それが形となってこの世に生み出され、現実世界で使えるモノとして存在しています。
これは、元々頭の中にあった時には本人でも気づいていなかったかもしれないアイデアが
誰かとの会話によってアウトプットされて行ったことで、
単なる偶像なイメージだったものが、実際に存在するようになったという結果です。
最初は単なる「あったらいいなあ」「作れないかなあ」程度なイメージだったことなのに、
これを誰かに話していくことで、双方の会話の中でさらにさらに気づいていき閃いていき、
イメージがより具体的に像を描けるようになって、結果的に実存する物体となったわけです。
このように、人は誰かに話すことで、アイデアを確かなものとして認識していけるようになります。
普段の会話でも、人と話している時に自分の思っていることを話すと、
自分の話したことへの行動がよりスムーズに取りやすくなりませんか?
いわゆる、やる気がみなぎったり、先延ばしにしていたことをすぐに実行したくなったりと、
スイッチが入るような感じです。
実は「話す」とは、単に相手に情報を伝達するというだけでなく、
自分自身が何を思っていて何を考えているのかを、認識したり整理したりするために行っているのです。
自分が誰かに話をしている時、話しながら自分も聴いている
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というわけで、人は話している時、自分でも話しながら自分の話していることを聴いています。
このようにして誰かに話すことを通して、自分にもう一度聞かせているのです。
こうすることで、より自分の意見やアイデアに信憑性を持たせ、
それを確かめながら、自分が思っていることは間違いない。大丈夫。と、
どんどん自信へと変えていきます。
これが、自問自答ではどうしても自身が持てない一方、誰かに話してから改めて聴くことを通し、
確実性を持って行動できる要素に変えていき、人は成長していくプロセスがあるのです。
自分の考えたことを自分で間違いないと納得できるには限界がある
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上記でもお伝えした通り、人は会話を交わし、言葉でアウトプットすることで、
自分のアイデアを認識することができます。
結論、人は自分の中にある情報は、一度外に出さないと認識できないようになっているということです。
なので、話す相手がいなければ、聴いてくれる人がいなければ、
自分の思っていたことに気づくことができないのです。
このように誰だって、「オートクライン」を求めています。
オートクラインとは、発信体から受信体へ向けて発した情報を、発信体自らも受信することをいいます。
この、オートクラインが行われて初めて、人は行動ができるようになります。
正確には、オートクラインを行わずに行動を起こした場合、その行動に対しての確実性や達成感が得られにくく、しっくりこない状態となってしまいます。
いわゆる、効率が悪く、何が正しいのか分からなくなることの原因となります。
オートクラインができていない状態で、ただ一人ひたすら我武者羅にひた走った結果、
後から振り返った時や進んでいる最中に、果たして、
「この道で合っているんだ!」とか、「これで間違ってないんだ!」って、
自問自答だけで、そうちゃんと自信もって言えるのでしょうか。
心から納得できているかのように、後ろを振り向かずにいられるでしょうか。
苦しい体験をされてきた方であれば、100人中100人が、
「不安しか無かった」「何が本当か見つけられなかった」と、
口を揃えてそうおっしゃるのではないかと思います。
現にこの、ライフチェンジングコーチとして活躍している私でさえ、
今現在、この瞬間においても、一人での自問自答では
この仕事をずっと務め切ることは厳しいです。
それくらい、人は一人での解決が難しく、
誰かとコミュニケーションを取り、意見を述べ、聴いてもらいながら、
まだ見ぬこれからを、たくましく勇敢に進んで行けるように設定されているのです。
まとめ:聴くことと同じくらい、話すことの大切さ
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どうでしたか?
話すことは、聴くことと同じくらいに大切で、
とても意味を持っていることがお分かりいただけたと思います。
日常の生活を覗いてみても、会話中に話している内容なんかでは、
お得な情報や、役に立つ情報や、身を守る情報など、
メモに取るレベルの内容が飛び交っていませんか?
そう思えば、誰かから聞いた情報やアイデアだって、
一度アウトプットしないと自分が覚えられないから、誰かに話すわけですよね。
誰かに話したくなるような情報は、有益で価値があることから、
誰かにもおすそ分けのように話したくなるものです。
けど本当は、自分が有益と感じた情報を誰かにおすそ分けしたいというより、
上記の理由により強く認識しておきたいわけで、忘れないようにして自分にとことん活かしたい気持ちがあるから、
誰かに話してより強いものにしているんですね。
そして、聴いた人も同じことをして行き連鎖していくのが、口コミですよね。
こう見ると、聴くことと話すことは、
行為が違うだけで、何のために行うのかの理由は同じだということです。
そして、聴くことについて少し角度を変えて見れば、
話し手が自分で自分の頭の中を整理したり、アイデアを引き出すことを
手伝っている行為なんです。
ついでに、聴き手も考えやアイデアを整理できる。
自分の話を話しながら聴く、相手の話を聴いてあげる、は、
話すことの質を向上させ、成長することができるため、
誰かに話すこと、話を聴いてあげることは、
互いに成長できるということなんですね。
これを、「コミュニケ―ション」と言います。
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