日々のお仕事、大変お疲れ様です。
仕事を任されて活躍していらっしゃる皆さんは、業務上での責任を背負いながらも、
毎日必死でお勤めされてることだと思います。
そうやって業務を遂行することに併せて、社内の人材を育成しなければならないことも、
常に付きまとっていたりすることでしょう。
そのため、上司となる立場の方は、部下を育てて行きながら、
早く一人前になってくれることを願っているかと思うのですが、
中には、とても覚えが悪かったり、失敗ばかりしてしまう部下もいたりして、
育てることや教えることに疲れを感じることがありませんか?
そんな時、実はその部下も疲れていて、
それが原因で覚えが悪くなっていたり、
ミスが増えたり治せなかったりと、
どんどん悪い結果を発生してしまいます。
その部下は、具体的に何に疲れているのかというと、
「上司が自分の気持ちを聴いてくれないから」だったりします。
上司の方からすれば、「は?何言ってんの?仕事ってそんな甘くないよ!」って言いたくなると思いますが、
上司は立場上、そうやってそれを言えますよね?
それを部下に言えるとしたら、言った方は聴いてもらったという達成感が発生するので、
会話にオチが付いて気持ちが完了されるのですが、
部下の場合は、立場上、自分の気持ちを言えなくなることもあるため、
「聴いてもらえない」「分かってもらいない」っていう風に心が感じてしまうことになり、
そしてその気持ちは未完了なままで、どんどん腐敗していきます。
そうなってしまうと、いつまでも改善されないことから、
上司も、「俺の話を聴いてるのか!」となってしまいますよね。
このように、お互いが「聴いてくれていない」と感じてしまうようになったら、
育成どころが、敵対心が育まれてしまい、マズいです。
そうならないようにするために、会話の中で必ず、
「認める言葉」を使ってみて欲しいのです。
今日は少し難しいことを言うと思いますが、
よくイメージしながら読んでみてください。
人は承認欲求をもって生まれてきている
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あなたは、あなたに「そうだね」「いいね」「なるほどね」「わかるよ」と言ってくれる人をどう思いますか?
きっと、その人のことをもれなく、「好き」ではないでしょうか?
普通に考えて、その人のことを嫌いにはなれないですよね。
思わず「ありがとう」と思ってしまうような存在ですよね。
これは、人間には「承認してほしいという」心理上の欲求が備わっていることによるものでして、
理論的に言えば、承認してくれるかどうかで敵や見方を見分ける、本能上の機能みたいです。
しかし、指導や育成で実際に交わされている会話にはよく、
枕詞かのように、否定系の言葉が使われています。
人間は、不満や相違を表す時にはどうしても「非承認」な言動を取るクセがあり、
これは、自分を分かって欲しいエゴイズムの心理から発生されています。
これだと、自己を優先してマウントを取りに行き、相手を倒す行為に至っていることになります。
相手を否定すれば、自分が肯定され、自身が上位であることを主張でき、
それを説得力にできると思ってしまうからです。
となると、本当は良い結果を生むために励んでいたはずなのに、
逆さま向いた結果となり、無残にも終わることにならないでしょうか?
人は、好印象の人の話はストンと聴き入れることができて、
警戒している人の話は、どう交わすべきかを考えながら聞くようにできています。
なので、物事の相違や改善を伝えなければならない時は、
誰に対しても言葉で都度「認める」行動を取って、
相手を肯定する作業を随所に入れてあげて欲しいのです。
自分が部下だった頃にこう思ってた
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私が下っ端だった頃では、否定的な言葉を使われながら叱られ続けたことによって、
こんな結果になったことがありました。
私がまだまだ新人で、仕事ができなかった頃、
理不尽に怒られることが続いていったり、否定的な言葉を浴び続けていくと、
その人からは否定な言葉しか言われないと認識し、構えるようになりました。
それでも、怒られたくない一心から、一所懸命に覚えようと向かってみる。
けど、自分なりに、言われた通りにやっても、否定される。
だんだんとそう思うようになり、それがトラウマとなってしまって、
仕事に向き合えなくなって行きました。
そうなると、仕事を覚えてレベルアップするという本質からだんだんとズレていき、
怒られることが前提で行動するレベルの方がアップしてしまったのです。
どういうことかというと、「現実から逃げる」「身をかわす」「その場をしのぐ」ことに力を使うようになり、
仕事を覚えて成長していくということが、恐怖でできなくなっていくのです。
今から振り返れば、こんなにも無駄な時間を過ごしていて、結局何がしたかったんだろう。
上司がこんなにも僕に指導した挙句、僕は苦しすぎて辞めてしまって、
あれだけ怒鳴り散らされたけど何も生まれなかった。
プレッシャーとストレスを溜めてまでして、なんだったんだろう。
と、こんなにも残念な結果にしかなっていなかったのです。
そんな、耐えるだけ耐え抜いただけでゴールが無かったその頃を振り返ると、
どこにも「そうだね」「分かるよ」などの、自分をキャッチしてくれる言葉はなかったですね。
自分が上司になった時はこうなった
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そしていざ私も組織で働いていた頃に、自分が上の立場となって職場を統括するようになってからは、
部下の、仕事に向き合う姿勢に傲慢さを感じたり、おろそかな仕事の仕方でクレームを浴びた時など、
確かにイライラすることも多々ありました。
やはり自分も、上司となる立場を経験してみると、
あの頃私に向かって怒鳴り散らしていた、上司の気持ちがようやく分かるわけなんですが、
何も生まれなくて悔しい想いをした経験があったことから、
部下を指摘や叱責する時には、物事をちゃんと説明し、なるべく丁寧に話すよう心掛けて行ったのです。
「イラ立ち紛れに怒鳴りちらし、相手を払いのける時は、関係の終わりであり、もう敵だと視てしまっている証拠だ。」
こんなことを理念のように掲げていたのと、
「上司として仕切ることの達成感とは、みんなが慕ってくれることだ。」
と、自分なりの美学も大切にしていたので、
相手としっかり対話をして解決することを意識していました。
よって、話が長いと言われてしまうこともあったので、決してそれがベストだとは言えませんが(笑)、
こう対話をすることによって、部下からも思っていたことを話してくれたりがちゃんとあったりと、
対話に中身が溢れて行き、結果的に解決に繋がっていい方向に行くことが沢山あったのです。
やはり、部下という下の立場であっても、人間としてそこに居て、
ちゃんと仕事に出て来て働いている。
それは当たり前のことだとしても、それがどんな具合だったとしても、
その人が力を注ぐ行動をとっているには違いないのですから。
だから、その事実は受け止める必要があるということなんですね。
それを言葉で伝えることで、人は認められたと感じるのです。
私も決して優れた人間ではないので、怒鳴ることだってありましたが、
指摘や叱責の後には必ず、「ごめんね」や「ありがとう」を入れて、
言葉のリセットをするようにしていましたよ。
一番大事なのは、「受け止める言葉」を言うこと
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相手が話した内容に対し、自分はそうだと思っていなくても、道理から間違っていたとしても、
相手が述べ終わるごとに、「そうだね」と言いましょう。
相手がなぜそう発言してきたのかを考えてみると、
自分の中で考えて、自分で答えを出してみたから、そう言ったわけです。
そこには、やってみた(考えてみた)という、アクションが発生したことになりますよね。
その、自分で動いたという事実を認めてあげる「YES」なんです。
「いや違う、そうじゃない。」と初っ端から跳ね除けると、
人は誰でも、「この人は言ったって聞いてくれないからもういいや」とか、
「否定されるなら自分はもう要らないのでは」と、だんだん誤解して行くようになり、
もっともっと言うことを聞いてくれなくなっては、
言われている本人も、言えば否定されるイメージが先行して、
自分から会話をしてくれなくなって行くので、
お互いの関係がどんどん悪循環にハマって行くのです。
部下にイライラしながらも上司が求めている結果って、
部下が仕事をできるようになって、少しでも仕事が効率よく回るようになって、
色々と楽にしていきたいからですよね?
上司のあなたも仕事上の負担が苦しいなと思うから、
そのしんどさを分かってもらい、カバーやフォローしてもらいたいから、
部下を育てていきたいのだと思います。
上司も、自分のことを分かってもらいたいから、自分の意を伝えてますよね。
それなら部下も、自分なりに考えてやってみたから、間違ってても動いてくれたわけですから、
部下だって、自分の気持ちを分かってほしいのです。
このように、人は誰でも、立場関係なく、認めてもらえたと分かるアクションが欲しいのです。
なので、言い方は良くないですが、中身が違っても、気持ちが無くても、
「そうだね。」「わかるよ。」と言ってあげてください。
この認めるという作業は、社交辞令な感じにも見えますが、挨拶と同じくらい大切な作業です。
相手に対して、あなたの存在をちゃんと感じているという意を伝えるのが、承認という作業なんです。
まとめ:必ず都度、受け止めた「証」を相手に伝える
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どうでしたか?
読んでみて色々と思うことがあったでしょうし、
そうやってできていたら苦労なんかしていない
と思った方もいらっしゃるかと思います。
ですが、上手くいかないから、イライラがいつまでも終わらないのだと思うのです。
そのためには、ほんの少しだけでいいので、認める言葉を使いながら会話をしてみてください。
そして、それを続けられるよう、心掛けて行って欲しいと思います。
その「認める言葉を使う会話」の手順はこうなります。
- 相手からの話の節々に「そうだね」「分かるよ」と入れて承認をする。
- 内容に間違いがあれば、そのあとから訂正を伝える。そして最後にこちらの伝えたいことを言う。
この手順で会話を進めるだけで、相手の反応が変わります。
徐々に徐々にですが、相手も内容のある話を返してくれるようになっていきます。
その時には出来るだけ、相手に刺さる言い方は避け、
自分はこうだったからとか、自分はこう思うとかの、
「私の場合は、私の時は」の形で事項を伝えて、参考にしてもらうことが大切です。
逆に、物事の相違や修正を伝えたい時に「おまえは」「あなたは」と相手を指して会話を進めると、
相手はそれを受け止めにくい反応が心の中に現れ、結果が反映されにくくなるので注意が必要です。
このようにしていくことで、ちゃんとお互いの立場を尊重し合えるようになっていきます。
承認は、仲間であることを伝える「証」となります。
会話のキャッチボールをすることで、人は仲間になってくれます。
その会話をキャッチするのに「そうだね」「わかるよ」と使って、承認をするということです。
「いや」とか「けど」とか「でも」を先頭に付けて喋り始めると、
ボールをバットで打ち返してしまって、相手を飛び越えて飛んでいくので、
言いたいことは届いていないと肝に銘じておくべきです。
あなたの気持ちが伝わって初めて、結果が出るということを忘れないで、
是非、今日から少しづつ、意識して会話をしてみて頂けたらと思います。
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